チャイコフスキーの交響曲第4番について(その2)

前回は、チャイコフスキー交響曲第4番の各楽章に共通する循環動機について書いてみましたが、今回は第1楽章の形式について考えてみたいと思います。

 

えっ?第1楽章の形式ってソナタ形式じゃないの・・・? その通り、僕もソナタ形式だと思っていますが、少し気になるところがあって、そこを書いてみたいわけです。

 

まずは基本的な構成を見てみましょう。

序奏(1〜26小節)

ホルンのファンファーレで始まります。

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提示部

第1主題部(27〜115小節)

ヴァイオリンが第1主題が出し、その後、大きく展開していきます。

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第2主題部(116〜133小節)

クラリネットによる第2主題。これにワルツ風の対旋律がからんでいきます。

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コデッタ(134〜200小節)

第2主題の対旋律に出てきたワルツ風の旋律の後に第1主題の変形が続きます。

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この後、第1主題の変形が中心となって前半のクライマックスを築きます。

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コデッタの最後に、突如、序奏のファンファーレが鳴り響きます。

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展開部(201〜283小節)

コデッタで出てきた第1主題の変形が中心となって展開していきます。

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展開部の後半には、バーンスタインが「ヤング・ピープルズ・コンサート」で「I Want It!」と歌い上げていたセンチメンタルな旋律が登場します。

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この旋律が徐々に高揚すると、序奏のファンファーレが再登場し、第1主題と組み合わされて大きなクライマックスに発展していきます。

再現部

第1主題の再現(284〜294小節)

展開部のクライマックスの高揚感のまま第1主題が高らかに再現されます。

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第2主題の再現(295〜312小節)

ファゴットで第2主題が繰り返されます。

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コデッタの再現(313〜380小節)

提示部同様にワルツ風の旋律と第1主題の変形の組み合わせで始まり、第1主題の変形によってクライマックスを築きます。

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そして、やはり提示部と同じく序奏のファンファーレが出てきます。

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コーダ(381〜422小節)

テンポが上がってコーダに入ります。この旋律は序奏のファンファーレの動機によります。最後の最後に第1主題が繰り返されて第1楽章を閉じます。

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という構成になっているわけですが、どこが気になるのかといいますと、まず提示部の第1主題部が非常に長いこと、そして、それに対して第1主題の再現部が短いこと、さらにこの第1主題の再現部の調が主調のへ短調ではなくニ短調、正確に言うとニ短調の属音の保続音であること、といったことです。

 

実際に各部分の小節数がどうなっているのか示してみましょう。カッコ内が小節数です。

序奏:1~26(26)

第1主題部:27~115(88)

第2主題部:116~133(18)

コデッタ:134~200(67)

展開部:201~283(83)

第1主題の再現:284~294(11)

第2主題部の再現:295~312(18)

コデッタの再現:313~380(68)

コーダ:381~422(42)

 

こうして見てみますと、提示部の第1主題部が88小節もあるのに、第1主題の再現はわずか11小節しかありません。88小節というと422小節ある第1楽章全体の2割を占める長さです。これは展開部の83小節とほぼ同じ小節数です。

内容的にも、提示部の第1主題部は、単なる主題提示ではなく、展開部的な発展を持ち、量的にも質的にも展開部と対応するようなものと言えるかと思います。

ちなみに、第2主題は18小節と短いのですが、続くコデッタと合わせると提示部では85小節、再現部では86小節となり、提示部の第1主題部や展開部とほぼ同量の長さになります。

 

今回はここまで。その3に続く。

チャイコフスキーの交響曲第4番について(その1)

チャイコフスキー交響曲第4番の第1楽章は、次のようなホルンのファンファーレで始まります(譜例1)。(楽譜は全て実音で表記しています。)

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この音型は第1楽章で何度も繰り返され、第4楽章の後半にも登場します。

楽章をまたいで同じ旋律や動機を用いる方法を循環形式というのですが、この譜例1の音型が第1楽章と第4楽章に使われていることを指して、チャイコフスキー交響曲第4番が循環形式である、ということは間違いではありません。

ただ、この交響曲第4番を循環形式というなら、もっと重要な役割をしている音型があります。それは(すでによく知られていることですが)4度の音階下行です。

4度の音階下行とは、ある音から4つ音階順に下がることで、例えばドの音から始めれば、ドーシーラーソという音型になります。

この4度の音階下行音型が、交響曲第4番の各楽章で使われ、重要な構成要素になっています。

順に見ていきましょう。

第1楽章では、先ほどのファンファーレの序奏が終わると第1主題が出てきます。

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DesーCー(間にHをはさんで)BーAsという4度の音階下行で始まり、そしてすぐ後にもう一度同じDesーCーBーAsが繰り返され、この4度の音階下行が強調されます。

クラリネットで出る第2主題も4度の音階下行で始まります。

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第2楽章の最初の旋律も4度の音階下行。

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副主題は4つ目のB音が上に跳躍していますが、EsーDesーCーBと4度下行。そして跳躍したB音からBーAsーGesーF、FーEsーDesーCと4度下行を2回繰り返します。

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中間部の旋律もリズミカルになっていますが、同じく4度下行。

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第3楽章の冒頭

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中間部の後半、金管だけで出る音型

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第4楽章の第1主題。最初の音型だけでなく、16分音符の細かい動きの中にも4度下行が含まれています。

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ロシア民謡「白樺は野に立てり」から採られた第2主題。

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その後の副次的な音型も4度下行で出来ています。

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このように、出てくる主題が全て4度の音階下行で出来ていることが分かります。

ここまで徹底的にやっているのは当然意図的なもので、この4度の音階下行が交響曲第4番の中心となる音型ということができると思います。

 

ムソルグスキーはトランペットの響き

展覧会の絵」の管弦楽版といえばラヴェルの編曲したものが一番有名です。しかし、最初のプロムナードの冒頭がトランペットなのが派手すぎるとか、ロシア的な感じがしない、などとお気に召さない方がいるようです。それでストコフスキーなどは弦楽器で始めてみたりしています。

では何故ラヴェルはトランペットでプロムナードを始めたのか、僕が思っていることを書いてみます。

最初に思ったのは音色の整合性ということです。

ウィキペディアによるとラヴェルはまず「キエフの大門」から編曲を始めた、とあります。

キエフの大門」は、堂々としたAと物悲しいBが交互に出てきます。2回目のBの後に最後のAを導く部分(Cとします)が挟み込まれています。並べてみるとA-B-A-B-C-Aということになります。

このCの部分の途中にプロムナードの旋律が再現されるのですが、ラヴェルはこの旋律をトランペットに吹かせているのです。

正確に言えばトランペットのソロではなく3本のトランペットの和音であり、他に木管楽器やハープなども参加していますが、聴けば分かるように、トランペットが明らかにプロムナードの旋律の中心です。

ここでラヴェルは考えたのではないでしょうか。この最後のプロムナードの旋律をトランペットに吹かせたのなら、曲の最初のプロムナードもトランペットにやらせるべきだと。

つまり、プロムナードの旋律はトランペットの音色と結びつけられていることになります。

ご存知の通り、「展覧会の絵」はムソルグスキーが友人の画家ハルトマンの遺作展を見て、その印象を音楽にまとめた組曲です。この曲の趣向は、それぞれの絵を表す曲と曲の間にプロムナードという音楽を挟んで、絵から絵へ見て歩くような構成になっていることです。

ということはプロムナードは絵を見ている主体、すなわちムソルグスキー自身を表していることになるわけです。

先ほど、プロムナードの旋律はトランペットの音色に結び付けられていると書きましたが、そうすると、トランペットの音色はムソルグスキー自身を象徴する楽器として扱われていることになります。

似たような例としては、プロコフィエフの「ピーターと狼」を思い出していただければいいでしょうか。「ピーターと狼」ではピーターが弦楽器、鳥がフルート、猫がクラリネットというように登場人物が楽器によって結び付けられています。

こうした楽器の音色が音楽の構成要素を示すことを、あえて名前をつけるとすれば「音色主題」と呼ぶことができるかもしれません。

 

トランペットがムソルグスキーを表すと考えた上で「展覧会の絵」を聴いてみると、さらに穿った見方ができます。

ムソルグスキーは社会の中で生活に苦しむ人々に心を寄せたとも言われています。ラヴェルがどこまで音楽や作曲家の背景を意識したかはわかりませんが、そうしたことも合わせて聴いてみると、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」のシュムイレの旋律がミュート付きのトランペットであることは意味のあることのように聴こえてきます。ムソルグスキーはシュムイレのことを我がことのように感じているのです。

また「ビドロ」の旋律がチューバなのも同じです。トランペット=金管楽器金管楽器の低音=チューバということで、「ビドロ」のチューバはトランペットの代わりなのです。「ビドロ」の原画は特定されていないそうですが、虐げられた人を表している可能性があるらしい。でもこうしたことはラヴェルの時代には知る由もないことですから、ラヴェルがそこまで考えていたはずはありません。それでもトランペット=ムソルグスキーとして考えてみると、「ビドロ」の虐げられた人へのムソルグスキーの思いが、このチューバという楽器に託されていると思いたくなってきます。

さらに付け加えると、最初のプロムナードはトランペットのソロに始まり、しばらくは金管アンサンブルだけで演奏されます。これに対応するのが「カタコンブ」です。カタコンブは洞窟などでの埋葬施設のことですが、このカタコンブに対してムソルグスキーは、友人ハルトマンの死だけでなく、多くの不幸な死者たちへのレクイエムとして作曲したのではないでしょうか。続くプロムナードは「死せる言葉による死者への呼びかけ」と題されています。ラヴェルはこの「カタコンブ」を最初のプロムナードと同じ金管アンサンブル(正確にはクラリネットファゴットコントラバスが加わります)で書いています。そしてこの曲の後半、短く印象的な旋律をトランペットのソロにあてがっています。

 

こうして見てみると、ラヴェルは冒頭のトランペットの音色に、ムソルグスキーの社会における不幸な人々への思いを象徴させたのではないでしょうか。

 

最後に・・・。この「音色主題」的な構成をラヴェルと同様に行った編曲があります。それは冨田勲シンセサイザーによる「展覧会の絵」です。冨田版ではトランペットの代わりに人の声が「音色主題」になります。最初のプロムナードは人の声で始まり、「キエフの大門」の中のプロムナードの旋律も人の声です。そして「ビドロ」は冨田が言うパピプペ親父の声であり、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では立ち上がる民衆の声として人の声が使われています。「カタコンブ」も男声合唱のような音色で演奏されます。唯一違うのが途中のラヴェル版でのトランペットの旋律で、冨田はこの旋律はパイプオルガンの音色を使っています。

おそらく冨田はラヴェル版のトランペットの意味をわかっていたのではないかと思います。それはオーケストレーション上のことではなく、ムソルグスキーの社会の中の不幸な人々への思いとして。

冨田勲シンセサイザーを使った様々な編曲は宇宙的であったり、どこの世界とも思えぬ空想の世界的であったりすることが多いのですが、この「展覧会の絵」では全編に人の声が支配的であり、宇宙的、空想的であることより、現実の社会の出来事として、この曲を捉えているように思えます。

Finale version26の日本語版

ちょっと前ですが、Finaleのversion26の日本語版が発売されました。

自分としては一番よく使うソフトなので、新しいバージョンが出るたびに新機能がどういうものか興味をもって見ていますが、今回の新機能はアーティキュレーションの自動配置が中心のようです。

今私が使っているバージョンは1つ前のversion25なのですが、個人的には今回の新機能は今ひとつかな、という印象です。

確かに複数のアーティキュレーションの衝突を自動で避けてくれるのは便利ですが、ひとつの音符に3つも4つもアーティキュレーション記号がつくなんてことはめったにありませんし、2つぐらいだったら手動でもなんとかなる。

もうひとつの新機能にスラーをアーティキュレーション記号が自動で避けるというのがありますが、こちらもあまり使わないかな。Finaleのホームページに、新機能の例としてスタッカートとアクセントがある音符にスラーをつける譜例が紹介されているのですが、そもそも、スタッカートとアクセントがあるフレーズにスラーをつけることはあまりないんじゃないかという気がします。

私が出来たらいいな、と思う機能は、ステップ入力上で臨時記号の強制表示と連桁の接続・解除です。確かにステップ入力カーソルを使えばどちらも出来るのですが、私はステップ入力カーソルを使わないので、臨時記号の強制表示や連桁の接続・解除のたびに高速ステップ入力に切り替える必要があります。ステップ入力カーソルを使わずに、こうした編集が出来ればありがたいと思うのです。

もうひとつ、あればいいなと思うのが、フォントのメニューに「最近使用したフォント」とか「よく使うフォント」といった項目です。こうしたメニューがないものだから、フォントを選ぶたびにずらっと並んだフォントの一覧から目指すフォントを選ばなければならない。特に日本語などは一番下のほうにあるので、割とめんどうなのです。「最近使用したフォント」や「よく使うフォント」のような項目がフォントメニューの最初のほうにあればずいぶん楽な気がします。

 

あと、何とかならないかなと思うことがもうひとつだけあります。

長年Finaleを使っていると、時々、ずっと以前に作った楽譜を引っ張り出してくることがあります。そうした昔のバージョンで作った楽譜をversion25で開くと、フォントが変わってしまうのはしょうがないにしても、日本語の歌詞が文字化けしてしまうのが困りもの。

ではどうするかというと、私の場合は、Finale2012をまだインストールしてあるので、Finale2012で一度開いて保存します。そしてその保存したファイルをversion25で開くのです。そうすれば文字化けは回避できます。少しめんどうですが、何とかなります。

ただ問題は、Finale2012がMacOSのHighSierraやMojaveに非対応ということ。新しいOSにしてみたいと思うものの、Finale2012も使うことがあるとするとアップデートするわけにいかないのです。だから家のMacSierraのまま。version25でも文字化けしないようになれはいいのですが、システム的に無理なんだろうな・・・。

少し編集

というわけで、ちょっといじってみました。

ヘッダとプロフィールの画像を加えてみたのですが、あまり上手くいっていません。

 

ヘッダの画像はGIMPで適当に書いたもの。

ブログのデザインを変更する画面でヘッダの画像を追加できるのですが、無駄に広いヘッダになってしまいました。

このデザインの変更画面では、表示位置は変えられるのですが、それ以外のリサイズとかちょっとした画像の編集ができないようで(私が知らないだけか?)、もし画像のサイズとか変える場合は、いちいちGIMPに戻って加工して、もう一度、画像をアップロードし直さなければならないので面倒です。

 

プロフィールの画像は、ずっと以前に作ったCGです。ダッシュボードの一番下の「アカウント設定」でプロフィール画像を加えられますが、こちらも画像編集はできないようで、ピンボケみたいになってしまいました。

 

最初だから、まあいいか・・・と、しばらくはこのままにしておきます。いずれ時間があったら直してみます。

 

 

ブログ開設

ブログを始めてみよう!ということで調べてみると、このはてなブログが良いらしいとありました。とても簡単らしい。

実際にやってみると本当に簡単でした。

IDとパスワード、メールアドレスを記入して、「私はロボットではありません」にチェックを入れ(入れると、何枚かの写真が出てきて、「何とかの写真をクリックしてください」というので該当する写真をクリックしていきます)、「入力内容を確認」をクリックするだけです。

すると「本登録のお願い」というメールが届くので、そこのURLをクリックすると、ブログ作成のページが出てきます。

後はページ上部の右側にある「記事を書く」をクリックするだけ。文章を記入する画面になるので、今こうして書いているわけです。

時間にして数分。IDやパスワードを何にしようか、考える時間がちょっとあるだけでした。

何も知らない初心者の私でも、こんなに簡単にブログを始められるとは驚きです。

詳しい使い方などは、当然分かりませんが、少しずつやってみて、何か分かったら、また書いていければと思います。